New York, N.Y. There is a dog called Mugi that Keiko Aoki really loves very much. The first Mugi-chan died when Rocky Aoki was still alive. So the next day, Rocky said to Keiko, “I’ll bring you the same one.” The second Mugi-chan was a Wheaton Terrier male, and it wasn’t a female like Mugi-chan before. Mugi-chan #2 has been alive for 14 and a half years now. When it is said that it is 14 and a half years, it is about 82 years old in my age if it is a human being.
I haven’t seen the dog for twelve years since Rocky died. One day, when I met him Mugi, he remembered me so much and I was surprised. Mugi was so happy that his tail wagged and wagged. Mugi did not want to leave me. Keiko said, “This dog is abnormal,” and a tumor was found in Mugi-chan’s spleen.
It’s a spleen tumor, very large, and I treated it aggressively every day for a little over a week or so and it became smaller. I have gone to Keiko’s place every day to treat Makoto, and I every day I have used Dr. Kazuko’s thermothermia made with patented far-infrared waves and terahertz waves.
Keiko was afraid Mugi-chan was in his last days, so she decided to take the ceremony hall and did a lot of things, but Mugi was able to eat rice because of my treatment and Keiko’s love.
The vet said, “He can only live a few more days,” but that was three weeks ago. So Keiko said, “This might be the last time,” and this time they went to the countryside which was Mugi-chan’s favorite. I also went because I should have something for him. Then, I became very tired by the treatment of Mugi chan every day.
There is a white little female dog named Kome-chan, Mugi-chan’s partner, who can flatter people and is loved by everyone. Even if she’s tiny, I think Kome-chan is always together with Mugi-chan, cheering him up. Mugi-chan was no longer able to stand up, but now he can stand up and walk like me. Mugi-chan is a very lucky dog. I meditate every day believing that Mugi-chan will live a longer life for Keiko.
Gratitude Gassho. Kazuko Ryumura
人に対しての“思いやりの心”だけで生きた人生
【第129回】娘を育ててくれたイトウ・ユウコさんのこと
私の生涯の中で、永久に非常に感謝している人がいます。イトウ・ユウコさんという人で、私のたった1人の娘、玲子を育ててくれた人です。玲子の1969年7月4日の予定日のために、母がユウコさんをアメリカに派遣してくれました。日本女子大学の文学部国文学科を出てて、玲子の予定日前にニューヨークに着くように手配してくれたの。彼女は日赤の看護助手で、沢山の応募者から母が選びました。
ユウコさんは私よりも11歳上。教養が高くて、真面目でとにかく立派な人でした。予定日より遅れて14日に玲子は生まれました。退院した日はアポロ11号が月面着陸した日、7月20日で家で一緒にテレビを見ていたのを覚えています。
私は玲子を母乳で育てました。朝から4時に起きて1回目、会社に行く前にまたあげて2回目、昼休みに戻ってきてあげて3回目、夜帰るのは11時頃と、計4回あげていました。午後の1回だけは人工ミルクをあげていました。
玲子はすくすくと育って、ユウコさんはクリスチャンで、近所の教会に、玲子をずっとおんぶして毎日行っていました。美術が好きだったので玲子を乳母車に乗せてメトロポリタンから近代美術館等あらゆる美術館を何回も連れて行きました。
3歳になった時からは私が玲子を抱えて一緒に連れて色々な所へ行きました。飛行機の乗り遅れそうになって走ったりしても、玲子を左脇の下に抱えて、スーツケースを右手で持って走っていました。
キコちゃんと東と西ドイツ
玲子には「キコちゃん」という、自分の娘のように可愛がっていたお人形がいて、それを東ベルリンに忘れてきちゃった。どうしても玲子が寝られないので、それで私が東ドイツに取りに行く事になって「玲子はここでじっとしていなさいよ。ドアを絶対に開けないでね」と言って、たった4歳の娘を夜中にホテルに置いて最高の勇気を出して一刻、一刻お祈りしながら、東ドイツに戻りました。東ベルリンに入って移民局のチェックポイントチャーリーのベンチにキコちゃんがぽんと寂しくいた時には本当に嬉しかった。そのキコちゃんを抱いて西ドイツに帰ってきた時にはもう早朝でした。2人でキコちゃんを抱きしめて泣きました。
玲子とキコちゃんとユウコさんは三位一体で行動していました。ユウコさんはお習字が上手で教えてあげたり、絵を描いてあげたり、全部日本語で話していました。お陰で私は1年間2000回のイベントを興行し大変な時だったんですけれども、全く安心して仕事に専念していられました。
玲子がエール大学に入ってから、ミセス・ドクター・エミというお医者のお手伝いに行っていました。その頃からユウコさんは私の部屋を出て、マーサという日系の女性をルームメイトとして住んでいました。
後から聞いた話ですが、私の旅行中にマーサと喧嘩して追い出された時にポートランドの玲子に電話して、そのままポートランドに行ってしまいました。ポートランドでは私も2回ぐらい会いましたが、玲子がユウコさんのためにお家を借り、玲子の大学で日本の文化を好きな人を集めて、書道とか絵とかを教えたりして素晴らしい人生を送って、2014年に亡くなりました。
一度も、自分の事を考えない人で全く200パーセント、玲子に命を捧げた人なんです。故郷の北海道に帰りたいだろうと思って、私が切符を用意しても「帰りたくない」って言うの。それでカトリックだから、1度はバチカンに呼んであげようと思ったのですが、それも「行きたくない」って言って。本当にもう玲子だけが生きがいのように思いやりの心だけで育ててくれた人なんです。
でも、人間が、もう1人の人のために完全に生きるっていうのは珍しいんじゃないかな。完全なdevotionというか。こんなに人間がある人のために完全に尽くすというのは、親でもそんな事は出来ない。
本当にすごい人だった。世界中で私が最高に感謝している方です。今週がユウコさんのご命日なのでご冥福をお祈りいたします。感謝合掌。